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エドウィン・ダン記念館@真駒内

足立区は北千住にある横田歯科医院 院長の横田です。歯周病治療に力を入れています。

先日(7月27,28日)札幌に行ってきました。

 

昨年の夏、近くまで行ったのに道を間違えて真駒内公園に行ってしまいたどり着けなくて今回はリベンジ。

明治のお雇い外人で北海道というとすぐにクラーク博士の名が浮かびますが、日本への貢献という意味ではこの人の方が大きいのではないだろうか。

エドウィン・ダン記念館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここの説明員の方に丁寧に展示以外のエピソードを色々聞かせてもらえました。

(1848-1931)

エドウィン・ダンは、北海道開拓使に招かれた外国人指導者のひとり。明治6年にアメリカから来日し、北海道における畜産業の普及に努めました。その功績は、牛の飼育・搾乳技術の普及のみならず、バター・チーズ・ソーセージなどの乳や肉の加工技術も指導し、今日の北海道の酪農の礎を築きました。また、北海道を離れたあとは、駐日米国公使館に勤め、日清戦争の平和交渉に尽力しました。さらに、新潟での外国資本による石油開発、三菱会社に勤務しサルベージ事業を行うなど、日本の発展に貢献しました。

 

新冠が競走馬の産地になっているのもこの人のおかげです。

青山墓地に眠っています。

 

 

 

 

 

日本の酪農の父と呼ばれていますがあまり名前を知られていません。名寄にある菓子メーカーの喜信堂の「ミルク1867」というお菓子のパッケージに(このお菓子も頂きました。)ダンの説明書きには

 

お雇い外国人教師として開拓使の農業指導に来日したエドウィン・ダンの指導により明治9年(1867年)真駒内放牧場に種畜場を開設。酪農に必要な搾乳場、乳製品加工場、穀物貯蔵庫など多くの施設が作られた。肉よりも牛乳を重視し、生産した牛乳は札幌市街で販売しバターやチーズ、粉乳などの製造も行った。こうして各種施設を有する3000ヘクタールの真駒内種畜場の基礎を作り北海道畜産の一大拠点とした。北海道の広大な原野を開墾し牧草地や畜産施設の整備に尽力し日本の畜産を発展に導いた第一の功労者エドウィン・ダン氏に心からの敬愛を込め優れた乳製品の産地として今や全国に誇る私たちのふるさと北海道の酪農のスタートの年「1867年」を菓名としました。とあります。

 

 

 

 

 

開拓使の廃止により一旦帰国しますがアメリカの外交官として再来日し、日清戦争の終結に尽力します。公使を辞めてから実業の世界に入り、新潟の石油採掘にスタンダード社から資本を入れ直江津にインターナショナル石油会社を設立し、大日本石油へ売却するまで支店長になります。三菱造船にも勤務し、83歳で東京で亡くなります。

幸せな人生だと思いますが最初の奥様は28歳で病死、再婚相手も30歳で亡くなっています。

2人の妻の間に1女4男がいます。

長女はアメリカにわたり、長男、次男は日本に帰化しました。3男、4男は渡米しました。日本に残った方の子孫と、渡米した方

の子孫がこの7月の末にこの記念館で対面するそうです。説明員の方が嬉しそうに話していました。

 

 

渡米した3男のジョンさんは東京在住中に慶応中学に通っており、第2回全国中学校優勝大会(今の高校野球です)に出場し、慶応の優勝に一役買っています。

慶応が久しぶりに甲子園に出たとき話題になり、新聞にも取り上げられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

記念館の隣は公園になっており、ダンの銅像があります。

像の台座には畜産作業の様子がレリーフになって全面に貼られています。作物がバッタの被害にあい全滅したり、馬が狼に食べられたりと苦労もしたようです。

 

 

札幌が好きな割に何にも知らないなと思ったのがこの記念館に行ってみようと思った動機です。北海道の開拓には随分とアメリカ人がかかわっていますね。

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